株式市場の急落

世界同時株安が続いています。しかし今年に入って一度は24,000円を超えた日経平均が、この1週間程度で急落し、昨日の終値は21,610円。前日(5日)の終値より1日で1071円も下げています。
まあ、一時的な調整だと思います。すでに本日は反発し9時半の時点で22,250円まで戻しているようです(その後確認すると、終値は21,645円で、前日比35円高)。

 

メディアの報道などによれば、アメリカでの金利上昇を受けて、債券と比べて株の割高感が意識され株式の売りが膨らんだとのこと。この表現だけだとよくわからないのですが、要は、市場の参加者は皆、それまでの株式相場は実力以上の相場で投資しても利回りは低そうだと認識しながら、他に投資するところがないためやむなく投資していたところ、アメリカでの長期金利の上昇を受けて債券相場が下落し投資対象として認識されたために株式市場の魅力が相対的に薄れ、売りが相次いだ、ということでしょうか。

 

報道によれば、この動きにさらに拍車をかけたのが、コンピューターによる自動取引とのこと。つまり値動きが激しいと、コンピューターが自動的にリスクの度合いが高まったと判断し、機械的に売り注文を出す。そうするとさらに相場が下がり、コンピューターがさらなる売り注文を出すという悪循環。さらに報道によれば、この自動取引の売りに短期取引のヘッジファンドが追随して売りを出し相場の下落が加速したとのことです。

 

投資のことは詳しいわけではありませんが、この報道を見て思ったことが、よくも悪くも、世の中はどんどんイージーな方向に流れていっているということ(この言葉遣いこそ、イージーな言葉づかいですね。安易な方向に流れていっていると言えばいいのでしょうか)。

イージーな方向、とはどういうことかというと、2点あります。

 

1つ目は、判断の機械化(もっと言えば、判断を機械そのものに委ねること)です。
世の中の多くの投資家は、中長期的に見て相場が安定的に上がっていくことを望んでいるはずです。そうすると、相場の加速的下落・循環的下落につながるような機械的判断にゆだねるのではなく、こういった値動きの大きい局面だからこそ、その局面が一時的なものか中長期的なものかを具体的状況に応じて個別に判断してアクションを決めるというのが(少なくとも現在の状況においては)よいのではないかと思います。(中長期の投資家がコンピューターによる自動取引を導入していることを前提に書いています。)
先に書いた通り、投資についてはそこまで詳しいわけではないので(現在勉強中です)、まったく的外れな意見かもしれません。また、一定の判断を機械に委ねるということ(より厳密には、設定という形で予めの判断を人間が行っておいて、機械はその判断に基づいて自動的に実行する)自体は、ありだと思います。問題はその予めの判断の内容というところでしょうか。

 

2点目は、政治のポピュリズム化同じように、今の社会は、皆がやっていれば自分もそうすべきだと思ってしまう、全体の風潮に安易に流されてしまうという傾向が強いということです。先ほどの自動取引も、相場の騰落率が%を超えたら自動的に売る、買う、そういう設定とのことですが(もしかしたらもっと複雑な設定がなされているのかもしれませんが)、そこには自身の独自の分析に基づく市場の読みがこうだから売るべき買うべきという判断はないのだと思います。簡単に言ってしまえば、皆が売るから売るという、流れに遅れるな的な発想というか行動。メディアや書籍も、そのような安易風潮を煽るようなものが多いのが気になります。

以上、浅学ながら、今回の市場急落報道を見て自分なりに感じたこと考えたことを記しました。